【書評】読者としての文章術「読みたいことを、書けばいい。」田中泰延

 

こんにちは

 

今回紹介する1冊は

 

  

『読みたいことを、書けばいい。』 田中泰延

 

  

本書は、広告会社に24年間コピーライターとして勤めて、退職後もフリーライターとして活動している著者が文章術について経験を交えながら紹介しています。

  

 

本書の帯には、”人生が変わるシンプルな文章術”との記載があります。

 

文章術と聞いたら、こうすると読みやすい文章になって…とか、読み手の気持ちになって書いてみよう…とか技術に関することを思い浮かべますよね?

 

  

しかし、ここでの”文章術”はテクニックに関するものではなく、書くための考え方を示しています。

 

  

本書で紹介している文章術は「読者としての文章術」

  

 

著者の本書におけるメッセージは”「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」”です。

  

 

自分の一人のために料理を作ったことがあるように、自分のために文章を書き、それを読んで楽しくなる。

 

そんな文章術を本書では紹介しています。

 

 

この記事では、本書を読んで印象深かったことについて紹介していきます。

   

  

  

  

  

「文書」と「文章」

  

  

本書では「文書」と「文章」の違いについて説明しているところがあります。

 

私はどっちも同じような感じがしたのですが、全然違うようです。

 

 

「文書」はレポートや論文、企画書などのこと

 

「文章」はブログやTwitterなどに書かれていること

 

  

じゃあ、「文書」と「文章」にはどんな違いがあるの?と思った方もいると思います。

 

まず、「文章」とはどんなものなのか、本書には次のように書かれています。

 

 

書きたい人がいて、読みたい人がいるかもしれない)、それが文章」なのである。

 

 

ブログを書いたり、ツイートするのは書きたいから書くし、その人のブログやツイートを読みたい人がいるかもしれませんよね。

 

逆にレポートや企画書などの「文書」はできれば書きたくないし、自分からすすんで読もうともなりません

 

「文書」と「文章」の大きな違いは書きたい・読みたい気持ちがあるかないかですね。

 

 

文書  :  読み手・・・すすんで読みたくはない    書き手・・・書きたくない

 

文章  :  読み手・・・読みたい(かもしれない)   書き手・・・書きたい

 

 

世の中に出回っている「文章術」について書かれている本は「文書」の書き方を丁寧に教えているものが多いです。

 

自分が思ったこと考えたことを書くのに「文書」の書き方にとらわれていたら、自分の書きたいように書けないですよね。

 

 

「文章」をさらに詳しくいうと、「随筆」になるとのこと。

 

  

「随筆」という言葉を聞くのは中学・高校の国語の授業ぶりではないでしょうか。

 

「随筆」とは何ぞやと思った方もいると思います。

 

著者は「随筆」について次のように定義しています。

 

 

事象と心象が交わるところに生まれる文章

 

 

人やものなどの「事象」に触れて心が動かされて書きたくなる「心象」の2つがそろってはじめて「随筆」になります。

 

 

さきほどの「文章」の例で挙げたブログやツイートは何かしらの「事象」に触れて書いている場面が多いような気がします。

 

今私が書いているこのブログもこの本を読んでおもしろかったため思ったこと考えたことを書きたいように書いています。

 

 

人間は、事象を見聞きして、それに対して思ったこと考えたことを書きたいし、また読みたいのである。

  

  

  

 

ターゲットは「自分」

  

 

世に出回っている文章術の本に書かれているのは”「ターゲット」を想定する”こと。

 

文章術の本を読んだことであれば見覚えのある言葉ですよね。

 

しかし、本書では次のように書かれています。

  

  

読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。自分で読んでおもしろくなければ、書くこと自体が無駄になる。

 

  

一度、他の文章術について書かれた本を読んだことのある方はかなり驚かれたのではないでしょうか。

 

私もブログを書くにあたって文章術系統の本をかじっていたのですが、ほとんどが誰に書くのかターゲットを想定して書きましょうといった記載がありました。

 

そのため、本書を読んだ時のこの表現は新鮮味があって面白かったです。

 

 

私たちは文章を書いたあと何度も推敲しますよね。

  

 

推敲するということは書いた文章を一番最初に読んでいるのは間違いなく書いた本人です。

  

 

その文章を自分で読んでおもしろくなければ、他人が読んでも面白くないし、何より書くことの楽しさも分からないままになります。

 

書くことはめんどくさいですし、できればやりたくないなという気持ちがありますよね。

 

 

著者が伝えたいメッセージは”「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」”です。

  

 

自分が読みたいものを書いて、それを読み、楽しい気分になっていくうちに読み手は「自分」になってくる。

 

 

つまり、ターゲットは他人を想定するのではなく、最初の読者である「自分」を想定するということですね。

 

 

 

  

「書く」ことは世界を狭くする

 

  

文章は事象と心象が交わるところに生まれるのだから、書くことは世界を広くしてくれそうな気がしますよね。

 

しかし、本書によるとその逆で世界を狭くするそうです。

 

 

私の場合で例えると、ブログを書こうと思って真っ白なページを開きます。

  

書こうと思えば何でも書けますよね。

  

 

はじめのうちは無限に広がっている世界の中にいるようなものです。

  

 

しかし、今私が書いているのは『読みたいことを、書けばいい。』という本についてです。

 

この本以外のことを書こうとしたら変な文章になるので書けないですよね。

  

 

書く前は無限に広がる世界にいたのに、今はたった1つの本に世界が絞られてしまっています。

 

 

このことが「書く」ことは世界を狭くするということです。

 

  

私はさらに『読みたいことを、書けばいい。』という本の「書くことは世界を狭くすることだ」というパートについて書いているので、もっと狭い世界になっています。

 

さらに狭くなってしまった世界ではこの本の他のパートの紹介は難しいのでこの辺で紹介を終わりにします()

 

 

冗談はこれくらいにしておきます。

 

 

本書ではなにも書くことで世界が狭くなるとだけ言いたいのではないのです。

 

  

本書では次のような記載があります。

 

  

あなたは世界のどこかに、小さな穴を掘るように、小さな旗を立てるように、書けばいい。すると、だれかがいつか、そこを通る。

 

  

確かに、書くことは世界を狭くします。

 

  

しかし、書くときに小さな何かを目印にすることで私たちが触れた事象その時に感じた心象は少なくとも私たち自身の世界に残り続けていきます

 

  

小さな何かが増えていけば、結果として私たち自身の世界を広くしてくれるのです。

 

 

 

  

まとめ・感想

  

  

自分が読んでおもしろくない文章を他人が読んでおもしろいわけがないから、自分が読みたいものを書く。

 

このようなメッセージが本書にはありました。

 

  

大げさかもしれませんが、個人的には青天の霹靂でした。

 

私がブログなど文章を書くにあたって、読んできた文章術の本には”読み手を想定して書きましょう”というメッセージがほとんどでした。

 

そんななかで「自分が読みたいことを書く」と書いてあるものですから、かなり印象に残っております。

 

 

そして、本書はとにかく読みやすいですね。

 

著者の書きまわしがユニークで読んでいて飽きませんでした。

 

序章に著者の自己紹介があるのですが、面白く印象に残る書きまわしが多かったです。

 

読んでいて思わず突っ込んでしまったところが多くありました(笑)

 

  

とにかく著者の語彙力が高く、色々な言い回しや表現の仕方があるので、文章術の本ではありますが、堅苦しい感じもなく読みやすいです。

 

  

私もこれくらいの語彙力がほしいですね()

 

参考になる表現やためになる文章術が多く載っているので、文章を書くのが苦手な人やこれからブログなどを始めようと思っている方にはおすすめの一冊です。



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